まさかの父の前立腺がん発覚に家族一同動揺しました

私がかかった病気ではありませんが、私が大学生の頃に父が前立腺がんと診断されました。

 

父は私が小さい頃からとにかく仕事熱心な人で、事業も成功したおかげで何不自由なく育てられ私立の大学まで行かせてもらいました。父が前立腺がんと診断された時に私は大学1年生でした。入学したばかりでこれから4年間思いっきり勉強にプライベートに頑張るぞと思っているところでの父のガン発覚でした。

我が家は母は専業主婦で父だけが収入の源です。100%父の稼ぎの下で生活をしていました。その父がガンにかかっているということがわかり、家族みんな今までに経験のない動揺を感じました。でも今考えれば突然だったわけではありません。私が高校生の頃にも「最近尿の出が悪くなってきたなあ」とか「常に残尿感があるんだよなぁ」みたいなことを言っていたのを覚えています。この辺の自覚を持つようになった頃からすでに前立腺がんは始まっていたのかもしれません。

話に聞くと前立腺がんは進行が比較的遅いらしく、そのような状況が長く続いてようやく気づく人も多いようです。父の病状が心配であると同時に、自分の学生生活も続けられないのではないかという心配ももちました。
私が大学に入った理由は遊びたいではなく、某国家資格を取得する勉強のために行ったのです。その国家資格は受験資格に大学卒業があったためどうしても大学を出ておく必要があります。もちろん相当な勉強もしなければなりません。アルバイトをしながら学生生活を送ることも選択としてはありますが、そうなると勉強する時間を削られてしまいます。父も「お金の事は心配するな。アルバイトはせずにしっかりと勉強して学生の間に資格を取得できるくらいにがんばりなさい」と言ってくれていました。

前立腺がんというのはステージがいくつかあるらしく、初期段階であれば転移の心配はないけど一定のステージを超えていれば血液の方に転移する危険性があると先生に言われていました。血液の方に転移してしまっていたらガン細胞を取り除くことができないので治療のしようがないと言われました。調べた結果ステージがちょうど転移しているかどうか微妙なところだったらしく、細かく調べたところ転移がなかったことがわかりました。
しっかりと手術をして5年間転移が見られなければ大丈夫だと先生から言われ、現在は定期的に病院に診せに行ってます。仕事もガン発覚以前と同じようにバリバリ働いています。

 

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予後予測を覆した奇跡

今から8年ほど前、病気一つした事がなかった母が突然意識を失い倒れました。

救急車で病院に運ばれ、診察の結果は左被殻出血、いわゆる脳出血でした。

脳出血と共に、水頭症になっているとの事ですぐに手術となり、術後に医師からの説明がありました。
その内容は「画像から推測し、おそらく重度の片麻痺と言語障害が後遺症として残るでしょう。今後は車椅子生活になる事を覚悟しておいて下さい。」と言う最悪の状態。

あれだけ元気だった母がなんでこんな事にと大きなショックを受けつつ、これからどうなっていくんだろうという不安感でいっぱいになりました。
それから母は3週間意識が戻らず、身体はどんどん痩せ細って行きました。
その後、何とか意識は戻った頃に、水頭症の再発が見つかり、再度手術を受ける事になりました。

また手術なのかと落ち込みましたが、術後は、意識がクリアになり、手脚の動きが出たら、言葉も出るようになるなど、予想以上に状態が良くなって行きました。
「先生が言っていたよりも全然いい状態じゃないか。しっかりリハビリをしたら、また元の生活に戻れるかも知れない。」と希望が湧き、リハビリ病院への転院手続きを取っていた頃、再び大きな壁が立ちはだかりました。
母は病院内で多剤耐性緑膿菌という、薬が効かない感染症にかかってしまいました。

すぐに多床室から個室へ隔離され、リハビリ病院の転院は消滅。
急性期病院での1日20分程度のリハビリしか受ける事が出来ず、1番伸びる時期にリハビリを受ける事が出来ない状態が2ヶ月ほど続きました。
しかし予想に反して母はみるみる元気になって行き、密なリハビリを受けていないにも関わらず、言葉がたくさん出るようになり、歩行も少し支えれば歩けるようになりました。

リハビリ病院に転院する頃には杖だけで歩けるようになっており、医師も「こんな事ってあるんだね。本当に奇跡的です。」と目を丸くしていました。

リハビリ病院に入院して、3ヶ月後には何も持たない状態で歩けるようになり、言葉はやや不明瞭ながらも普通に生活する事には何も問題ないくらいにまで状態が改善して行きました。
医師からの予後予測に最初は大きなショックを受けましたが、母は信じられない奇跡を起こしてくれました。
今では完全に笑い話で、再発もなく元気に暮らす事が出来ています。

血液中の悪い成分を綺麗に出来ない病気、腎不全。

病名は腎不全です。

是は血液中の色々な成分を自力で綺麗にすることが出来ない病気です。腎臓が機能しなくなると、おしょうすいも出なくなります。すると当然、体の中に水が溜まり、むくんで行くのです。水が溜まり過ぎれば、心臓や肺を圧迫して合併症を起こします。食べる物も制限が在り、此の制限についても可なりきついです、食べ物には、リンとかカリウムなどが入っていて、腎臓が機能していないので、体に溜まって行くのです。これらも、心臓に負担を掛けるのです。

現在、闘病中で、人工透析をしています。週3回、1日4~5時間です、腕にシャントと言って血管を繋げる手術をします。毎回、この血管にボールペンの先位の針を刺します、其れも2本です。何年たっても此の刺す時の傷みは馴れません。4時間は身動きが出来ず、非常に辛い物が在ります。当然週3回は病院なので、何もする事が出来ません、透析が終わっると、一回で3キロ程の水分を抜くので、フラフラで歩く事が精一杯です。水分を引きすぎると血圧が下がり上が80で下が50台まで落ちる時も在り、とても、透析後の仕事は無理です。

透析は週3回、その他の日は仕事をしていますが、今まで通りには動く事は出来ません。透析を始めた時はもう仕事は出来ない、と思って居ました。しかし、収入の問題が在ります、いきなり0円になってしまいました。是から老後の生活に不安を感じています。元居た会社に話しをして週3日だけ使って貰って居ますが、収入は半分以下になりました。会社の社長とある程度の人は私の病気の事は知っていますが、透析をしていると言っても良く分かっていない様です。顔色が良くなったとか、何故週に3回なのかとか、聴かれる事が多いです。

皆さんに伝えて置きたい事は、この病気は絶対に良くならないという事です。治療して、治るのであれば食事も何も頑張って我慢するのですが、人工透析をしても、これ以上悪くならない為の治療です。治りません。精神的に落ち込む事が在りましたが、今は、上手に付き合う事しか在りません。自分なりに少しづつ体力が落ちているのが分かります。腎臓は何の傷みも無く悪くなるので、塩分の取りすぎなど今、元気な内から気を付けて置いた方が良いです。

うつ病は本人はもちろん、家族も接し方に苦慮し大変です

私の姪のことです。
姪といっても年齢は5つしか離れておらず、幼い頃から妹のように接していました。
7年前、彼女は30歳になり周囲がどんどん結婚してったり、東日本大震災の報道を見て、独身でいることの不安が募り結婚早くしたいとかなり焦っていました。

本当に浅はかで、誰が見てもパッとしない男友達と交際し始めてその年のうちに結婚してしまいました。

会話もなく休日も2人で家にこもって何をするということもなく過ごす空虚な日々が続き、うつ病を発症してしまいました。

1日中寝てばかりで家事をすることもできず、別居することとなり私の家の離れで療養することになりました。
最初の頃は朝から夜まで塞ぎ込んでいて、気晴らしに外出することを勧めても首を横に振るばかりでした。
1週間ほどしたときに、夜中に突然とても大きなわめき声が聞こえ、家族全員驚いて離れに行ってみたところ、姪が棒で壁を叩きながら泣き叫んでいました。

落ち着かせようとみんなでなだめるのですが、なかなか治らず、旦那の悪口や昔の職場の人の悪口などを延々と汚い言葉で言い続けました。
姪のあまりの豹変ぶりに私たち家族は大きなショックを受けました。
病院に通ってしばらく経っていたのですが、彼女は先生の前では自分をよく見せようとしパニックになった時の様子などを正確に伝えていないようです。
先生はプロなのでそういった態度を見抜くことができるのかもしれませんが、このような状態で家に帰されては家族はどう対応していいか非常に困ってしまいます。

この7年間、いろいろと試行錯誤していますが、姪の態度も時と場合によってまちまちなので苦労しております。
旦那さんは毎月少しばかり生活費を振り込んでくれるだけで連絡はほとんどありません。

出された食事が気に入らないから暴れる、言葉尻に敏感に反応し気に入らない単語が出てきたら何時間も批判する、依存心が強く日中起きている時は誰かが側にいないと何をするか分からない、といった緊張感のある毎日を過ごしています。

インターネットなどを見ていると、30歳前後の女性にこのようなうつ病を患っておられる方が最近多いと知りました。
一般的には患者本人の大変さなどはみなさん漠然とは知っておられるのですが、それを支える家族がどのような毎日を送っているかの情報やサポートする体制などはまだまだ不足しているように感じます。

思春期に自己免疫疾患を発症。将来への不安が尽きない日々

中学生2年の冬、じわじわと関節痛が全身に広がるのを感じました。微熱や怠さも続き、風邪かな?親に話して病院へ行った方が良いのか?と思いつつ部活や塾に習い事に日々追われて何も無い。大丈夫と自分に言い聞かせていました。

ところがある日、関節痛が急激に悪化しベッドから起き上がることすら辛くなってしまいました。流石にちょっとまずいと思い親に相談し、近くの総合病院を受診しました。症状を聞いた医師が明らかに表情を曇らせ、詳しく検査しましょうと言いました。

 

約1週間後に出た診断結果は、全身性エリテマトーデスという自己免疫疾患でした。

 

若い女性が多く発症する病気で、現代の医学で完治することは無い。今後はステロイドや免疫抑制剤を服用しながら症状を抑える治療を中心とすることや、薬の副作用について説明されました。そしてその日から3カ月は学校を休み入院生活を送ることとなったのです。

学校を休むと言っても中学は義務教育なため、病院にある院内学級へ通いました。友人もいない教室で黙々とテキストを解いていたのを覚えています。学級を終えて病室へ戻ると、今まで想い描いていたような輝やかしい将来は自分には来ないのだという現実を思い知らされ、ひとりで泣いていました。

また、もう一つ辛いことがありました。ステロイドの副作用です。多量に服用することで、ムーンフェイスという顔の膨張がありました。ステロイドを減量していくにつれて元に戻るという説明は聞いていましたが、実際に膨らんだ顔を目の当たりにして、正直なところもう誰にも会いたくないと思いました。思春期において外見に大きな変化があるということは、特に女の子にとっては酷なことです。この顔はいつ元に戻るんだろうと、自分の顔が憎らしく思うこともありました。

3ヶ月の入院を終えて体調も安定し、退院の日を迎えました。正直この顔のままでは学校にも戻りたくないと思っていましたが、友達は私を温かく迎えてくれました。

それから10年程が経ちますが、現在も少量のステロイドを服用しながらも元気に暮らしています。顔の膨らみも元に戻りました。結婚し、妊娠出産を経験しながらも悪化することを免れ育児に奮闘する毎日です。この病気は、薬を服用することで症状を抑えることができます。日光に当たりすぎない、疲れを溜めない、ストレスをコントロールする等の日々の注意事項を守りながらではありますが日常生活を取り戻している患者さんが私を含め多くいらっしゃいます。思春期にこの病気を発症したことはとても辛い記憶として残っていますが、現在は幸せに暮らしています。

何かニオイを感じないなと思っていたら

50代男性会社員です。昨年の話ですが、鼻の中に鼻茸が出来てしまいました。よく蓄膿症という病気は聞いたことがあるかも知れませんが、長年蓄膿症を患っており、良くなっては風邪をひくと悪くなるを繰り返していました。今考えるともう20年ほどこんなことの繰り返しでした。

蓄膿症は再発率が高く、治ったと思っても風が長引いたりすると直ぐに再発してしまいます。一時期頭が痛かったり、ほほが腫れているような感じがしたりで、脳外科やら、頭痛外来やらを転々とし、やっと蓄膿症によるものと分かったほどです。それだけ思い当たる節も無いため、違う病気なのではないか?と思ってしまうものです。

去年の春頃にちょっと風邪をこじらせ、2か月ほど鼻水が止まらず、鼻通りも悪く片方の鼻は完全に塞がっていました。また蓄膿症だと思い病院へ行き、暫くは投薬で様子を見ていましたが一向に良くならず、レントゲンで見ても膿がほほ骨の内側に溜まった状態でした。さすがに医者もおかしいと思ったようで内視鏡での検査で鼻茸と診断されました。

簡単に言うと鼻の中に出来る出来物(ポリープ)でそれが大きくなり鼻の孔を塞いでしまっていました。

この頃にはニオイもあまり感じず、いつもの好物を食べてもおいしいと感じませんでした。通院していた病院では手術が出来ないため総合病院を紹介してもらいましたが、精密検査の結果は最悪でした。鼻茸が喉の方にまで張り出し寝ている時には大きなイビキをかくほどでした。しかもほほ骨から通じる孔も塞がっており、このせいでほほ骨の中の膿が排出されず少々腫れているような感じでした。

さて手術をすることになりましたが、完全に再発しないようにするには全身麻酔でほほ骨の中の膜まで切除するということで入院期間は2週間と、簡単な手術と思っていたのに非常に大事になってしまいました。会社も2週間休んで手術をしましたが、術後の夜、麻酔が切れてからは地獄で、痛みで寝られず、出血も止まらずで散々でした。次の日も麻酔薬が喉に回ってしまい喉が痛い様な、イガラっぽいようなおかしな感じが2~3日ほど続き、気になって寝不足状態でした。病院での食事も一応病人と言うことで、味気のないおかゆのようなものばかりで”早く退院してラーメンとか腹いっぱい食ってやる”とおいしい食べ物に飢えてしまいました。それに私は大の酒好きですので入院中は酒も飲めずで、暴れる寸前になっていました。

因みに退院当日は病院を出ると速攻でラーメン屋に行き3人前ほど平らげてやっと満足しました。退院してからも週に一度は通院という形になり、予想以上に手間が掛かりました。今では完治しましたが、元々鼻の孔が狭いためもう一方の鼻の孔に再発する可能性は高いと言われています。ただポリープを取るだけなんて軽く考えていただけに、予想以上の苦痛に”もう二度とこの病気になるものか”と最近では鼻うがいなどをこまめにしています。皆さんもただの風邪と思って治さないと予期せぬ病気になるかもしれませんよ。

歯の神経を抜いた時のこと

今でも忘れません、あの日のことは。

あれは私がまだ中学1年生の3学期のことでした。当時、紅茶が大好きだった私は、その日の朝も砂糖のたっぷり入った紅茶を登校前に母に作ってもらっていました。

「痛い! しみる!」

母の作ってくれた温かくておいしい紅茶、のはずが、なんとも痛みがひどい。そりゃあ、ひどいってなんの。痛すぎてつい、叫んでしまいました。

その日の給食も、朝の激痛が思い出されてどうにも上手く食べることができませんでした。特にあの熱々のわかめスープだけは、ついに口にいれることもできず、そのまま残してしまいました。

さて、家に帰った私は、母と一緒に歯医者へと行ったのです。レントゲンまで撮った後、先生は言いました。

「こりゃあ、神経を切らなきゃいけないね」、と。

 

いわゆる「抜髄」というらしいのですが、それほどまでに私の歯は酷かったのです。

 

原因は、日ごろの歯磨きで汚れが取れず、それが溜まってしまい、神経が痛んでしまったのだとかなんとか。

手術後、麻酔後の痛みとともに私は帰宅したのですが、それから、電動歯ブラシまで買って、毎日丁寧な歯磨きを心がけるようになりました。おかげか、神経を抜いた歯は10年経った今でも元気に私の口に収まっています。

皆さんも、歯の病気は怖くて痛いものです。丁寧に磨きましょうね。

 

参考 http://www.jea.gr.jp/ippan/index-5.shtml